ストーリーテリングという人間の技
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本コラムは、2023年11月30日から12月1日にオーストリア ウィーンにて開催される第15回Global Peter Drucker Forumにおける議論の一環として同フォーラムのサイトに掲載された論考(オリジナル版)の日本語版です。
Global Peter Drucker Forumは経営学の父と呼ばれるピーター・ドラッカーの功績を記念し、2009年から毎年、オーストリアのウィーンで開催されている国際会議です。世界トップクラスの経営思想家と企業経営者が集い、重要なテーマについて議論を展開します。第15回となるフォーラムは、2023年11月30日から12月1日に「創造的なレジリエンス:断絶の時代をリードするために」をテーマに行います(Global Peter Drucker Forum)。
ストーリーテリングと進化するAI
ストーリーテリングは、ビジネスにおける最重要スキルの1つだと考えられています。なぜなら、新しいビジネスの構想やマーケティング・メッセージ、あるいは未来ビジョンなどをストーリーという形で伝えることで、皆さんの従業員や顧客に直感的に理解・共感してもらうことができるからです。こういったストーリー(あるいはナラティブ)を語りかけることは、人間のみが成し得る「技」(わざ、「Art」)でした。しかし、この唯我独尊的な地位も、進化するテクノロジーによって危うくなっています。
今、AI技術の急速な進歩が私たちの生活や仕事の様々な側面に変化をもたらしています。ChatGPTなどの大規模言語モデルは、人間が書くのと同等のクオリティの文章を瞬時に生成することができます。遠い昔に言語が生まれて以来、言葉を自在に操ることができるのは人間だけでした。しかし、いわゆる「生成系AI」は私たちがクリエイティブな仕事を行うやり方を非常に大きく変えようとしています。富士通が2023年1月に行った9か国のビジネスリーダー意識調査 (*1) によると、42%の回答者が2030年までに自社の50%以上の業務を人とAIが協働で行うようになると考えていることが分かりました。今までとは全く異なる世界がもうすぐそこまで来ているのです。
(*1): 富士通 グローバル・サステナビリティ・トランスフォーメーション調査レポート2023
AIは意味を理解するのか?
ストーリーに関しても、すでにAIはきちんとしたプロットを持ったストーリーを生成することができるようになっています。しかし、皆さんは疑問を持っているのではないでしょうか? 果たして、AIはその生み出した言葉や文章の意味を理解しているのだろうかと。私は、その答えはYesでもあり、Noでもあると思います。基本的に、大規模言語モデルは、その前に展開された文脈を検討して、次に続くべき最もふさわしい言葉を見出すことに優れています。これらのAIは、膨大なテクストの学習を通じて、言葉と言葉の間の非常に複雑な関係性(「相関性」)を計算することによって文章を生成しているのです。
近代言語学の父と称されるフェルディナン・ド・ソシュールは、「言語とは恣意的な記号の体系」であり、「言語には差異しかない」と語りました。ここで言う「差異」とは、言葉という記号間の関係性のことです。そして、現在のAIは言語の体系における恣意的な記号間の関係性を把握できていると言えます。この観点からは、Yes。少なくとも表面的には、AIが言葉や文章の意味を理解していると推定してもよいかもしれません。
しかし、AIには重大な限界がある
一方で、言語は私たちが身体を通じて経験することに非常に強く結びついています。言い換えれば、人間の言葉は深いレベルで身体化されているのです。私は日本に生まれ、その文化的な伝統の中で育ってきました。私たち日本人が「桜」という言葉を耳にするとき、誰もが薄紅色の美しく咲き誇る花のイメージを思い浮かべます。しかし、この言葉には隠された力が潜んでいて、その華やかな姿の裏側に「この世の生のはかなさ」も同時に感じ取ります。それは、「桜」という言葉から想起される散りゆく花びらのイメージが、人の宿命としての死を象徴するからです。このような「桜」という言葉が内包する意味は、日本人が共有する文化的な経験や身体化された深い感情に基づいています。私には、AIがこのような象徴的な意味を再生できるとは思えません。なぜなら、AIには主観的な意識もなければ、身体的な経験もないからです。この観点からは、No。AIは人間の感覚や感情、価値観と結びついた意味を深いレベルで理解することはできないのです。
人間の技としてのストーリーテリング
ストーリーテリングの核心は、オーディエンス(読み手、聞き手)の想像力を喚起して、皆さんが語りかける物語を経験してもらう「技」(Art)にあります。これを理解するために、偉大なアーティストがどのように作品に取り組んだのかを見てみましょう。エッセイストとしても有名な詩人のポール・ヴァレリーは、詩の「生産者」である詩人と、その「消費者」である読者が、詩の作品を間に置いて向き合っていると考えました。ヴァレリーにとっては、詩の極意とは、読者に自分の身体を使って詩を経験させることだったのです。同じように、20世紀アートの巨匠マルセル・デュシャンは、芸術作品の50%は作家が作るが、残りの50%は見る人の脳の中で作られると語っています。これらの考え方はストーリーテリングにもそのまま当てはまります。ストーリーテリングは常に物語を語りかける人とオーディエンスとの間の共同作業です。メタファーを使って言い換えれば、ストーリーテリングとは、オーディエンスとともに即興のダンスを踊るようなものだと言えます。ストーリーがオーディエンスの心と身体で経験されて初めて、様々に膨らみを持った意味が開かれていきます。
そのため、オーディエンスの心と身体が皆さんのストーリーを経験して味わうようにいざなう仕掛けを注意深く構築する必要があります。皆さんは何を心の底から語り掛けたいのか? どうやって相手との信頼関係をつくり、アテンション(注意)を引くのか? 相手が自然に引き込まれるストーリーの文脈は何か? 自分の考えを相手がわかる身近なことに喩えると何だろうか? さらに、どのような問いかけによって相手の想像力を喚起し、言葉のトーンやリズムを織り込めばいいだろう? これらのポイントはすべて、皆さんがオーディエンスとともに気持ちよくストーリーのダンスを踊るために重要な鍵となります。
「私たちは何者で、どこに行くのか」を語るストーリー
「AIに何ができるのだろう」という問いについて考えることは、「私たち人間とは何者か」という問いを再考することにつながります。この問いの答え方は数多くあるでしょう。私は、「人間とはストーリーを生み出すことによって生きる他に類のない存在だ」という答え方が気に入っています。誰もが、一人ひとり異なる個人的なストーリーを作り出すことを通じて、自分が何者で何になりたいのかを明らかにします。一方、人間は社会で共有されるストーリーを生み出してきました。古代社会においては、私たちの遠い祖先たちによって生み出された数々の神話が、共同体の文化を構築し、未来への旅を導いていく役割を果たしました。中世社会においては、宗教が社会全体を覆う聖なる天蓋として機能しました。しかし、現代社会では、このような社会の基盤となるストーリーは失われてしまいました。
それでも、「私たちはどこに行くのか」という問いに向き合い、社会の未来について語りかけるストーリー(ナラティブ)を生み出す努力を続けなければなりません。今、私たちは気候変動や人の尊厳の侵害などの困難な社会問題に直面しています。同時に、急速に進歩するテクノロジーが非常に大きな機会とともに、深刻な脅威をもたらしています。地球の限界と人々のウェルビーイング、そして進化するテクノロジーとの共存に十分に配慮し、私たちを未来へと導くストーリーを生み出し、共有することが求められています。どのようなストーリーを作るにせよ、そのダンスを共に踊ることを通じて人々の心と身体に響き、経験されることで次への行動を促すものでなければなりません。だからこそ、ストーリーテリングという人間の「技」が、今ほど必要とされる時代はないと私は思います。